高杉晋作への愛は永遠だったのですね 4)東行庵 東行庵の地は清水山といい、幕末の頃奇兵隊軍監山縣有朋は麓に草庵を建て「無鄰菴」と名付けた。慶応3年4月(1867年)に死去した高杉晋作の遺骸は、遺言により奇兵隊の本拠に近いこの地に葬られた。晋作に仕えていた愛人おうのが出家し、山縣は無鄰菴をおうのに贈った。「東行」は晋作の号であり、おうのは1909年(明治42年)に亡くなるまで晋作をこの地で弔った。 高杉晋作ゆかりの地、おのうが、無き晋作を弔って生活していたところ。昔来たことがあるが、周辺整備が行き届いており、ゆっくり出来る。いつもは昼を頂くとすぐに出発だったが、時間を十分に取った。晋作持ち、紫蘇がまかれ引き締まっておいしい。 位置図:「おのみっち」西国街道コミュ http://onomichi-sns.jp/community/?bbs_id=214 |