6)芥川宿と一里塚(高槻市芥川) 芥川宿については、一里塚のところに案内がありよくわかりました。手前の芥川から、この一里塚の間、400?の間であり、たいそうにぎわっていた様子がうかがえます。西国街道 芥川一里塚は大阪府高槻市芥川町に残る一里塚。 芥川一里塚は、かつては西国街道の宿場「芥川宿」の街道を挟んだ東西入口の両側にあったが、現在は東側だけが残っている。 旧三島郡内の一里塚は、芥川のほか、梶原(高槻市)・太田(茨木市)の3か所にあったが、芥川の一里塚以外は失われている。 芥川は、12世紀頃には宿駅として成立しており、17世紀始めには、徳川幕府による宿場町として、参勤交代のための本陣や伝馬などのほか多くの旅籠が、芥川一里塚跡より西側、芥川橋までの約400メートルのうちに設けられた。 1734年(享保19年)に描かれた「芥川宿絵図」には、整然とした家並みや寺(教宗寺)および宿場の中心にある本陣が描かれており、東側には街道を挟む南北両脇に、築山(塚)に植えられた高木(エノキ)が目印となる一里塚が見られる。 19世紀の天保年間(1830-1843年)の「山崎通 宿村大概帳」では、本陣、脇本陣のほか、旅籠33軒、家数253軒を数え賑わっていた。 |