6)間宿「一貫田」 (広島市安芸区一貫田) 一貫田は中世の世能庄の中心で、鎮守の平山神社の麓に拡がった集落であったといわれている。 江戸時代には、西国街道の関宿として本陣が置かれている。 一貫田の宿は、街道の両側に民家が連なる。本陣、脇本陣があったという。 「中国行程記」には、街道の北側に「出見世」の地名と「酒屋孫左衛門]の名を書き「この酒屋は孫左衛門の休み茶屋で左右に茶屋多し、この孫左衛門の先祖で、当行の東の川向いに庄屋平田孫兵衛という者がいた、先年当行に出見世を出した故に、所の名を出見世とついた」と書いている。 文 Y.Shiokata |