5)油御用所跡 (広島市安芸区一貫田) 瀬野川沿いに現在五十メートルばかりの石垣が残っているが、ここには約二百メートルにわたって水路がつくられている。 当初野村家四代目が人力により石臼による油絞りを始めたが、寛政二年(一七九〇)からは瀬野川の水を利用して、水力による搾油を始めたといわれる。 寛政十年(一七九八)になって広島藩の油御用所に指定され、馬で油を運び、戻り便で菜種などの原料を持ち帰るなど規模は拡大された。海田から、大阪方面にも船便を利用して輸送された。 一貫田は大いに栄えたといわれている。 |