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銀の道の旅 9回(三次市三次町~四拾貫町~三良坂町岡田)の道ゆきぶり 主催:銀の道を歩く会(有志)-大森銀山を目指す- 日時:平成28年4月10日(日)9時30分~15時 参加:19名 1. 街道の道すじ 9時30分、三良坂町岡田、竹の工房に一次集合しました。その後、三次市三次町の駐車場に移動、三次町に集合した方と合流しました。今回は三良坂町岡田まで歩きますが、馬洗川沿いではなく、江戸時代初期の道四拾貫経由で三良坂に向けて出発です。ですが、三次町は、江戸時代三次支藩の城下町、街並みがきちんと残っているため、特に、歴みち協議会井上さん … [続きを読む] |
銀の道ぶらり旅(9回) (三次市三次町~三次市三良坂まで)(13km) 日時:平成28年4月10日(日) 集合:三次市三次町フードセンター前駐車場10時00分 解散:三次市三良坂みらさか竹工房はなかご解散15時00分 行ってきます |
6)間宿「一貫田」 (広島市安芸区一貫田) 一貫田は中世の世能庄の中心で、鎮守の平山神社の麓に拡がった集落であったといわれている。 江戸時代には、西国街道の関宿として本陣が置かれている。 一貫田の宿は、街道の両側に民家が連なる。本陣、脇本陣があったという。 「中国行程記」には、街道の北側に「出見世」の地名と「酒屋孫左衛門]の名を書き「この酒屋は孫左衛門の休み茶屋で左右に茶屋多し、この孫左衛門の先祖で、当行の東の川向いに庄屋平田孫兵衛という者がいた、先年当行に出見世を出した故に、所の名を出見世とついた」と書いている。 … [続きを読む] |
5)油御用所跡 (広島市安芸区一貫田) 瀬野川沿いに現在五十メートルばかりの石垣が残っているが、ここには約二百メートルにわたって水路がつくられている。 当初野村家四代目が人力により石臼による油絞りを始めたが、寛政二年(一七九〇)からは瀬野川の水を利用して、水力による搾油を始めたといわれる。 寛政十年(一七九八)になって広島藩の油御用所に指定され、馬で油を運び、戻り便で菜種などの原料を持ち帰るなど規模は拡大された。海田から、大阪方面にも船便を利用して輸送された。 一貫田は大いに栄えたといわれている。 |
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